自己肯定感が決定的に低い日本人が生まれた時代的背景

昨晩放送された「海賊と呼ばれた男」を観て思ったこと。岡田准一主演の映画です。

 

映画の内容をザックリ説明すると、

石油輸入会社の社長の生涯を追った物語です。

 

石油の精製、輸入、販売、度重なる困難を社員と一緒に乗り越えていくストーリーです。

主に戦後の話で、貿易が絡むため、アメリカやイギリスとの経済闘争のような話にもなっています。

 

戦後の日本

1945年のことです。日本は戦争に敗れました。

そんななか、GHQによる日本の統治が始まったわけです。戦後の時代背景として、この辺りは意外と認識が低いのではないでしょうか。

 

GHQによる統治というとパッとしませんが、具体的には

教育だったり、マスコミの制限、政治組織の無力化などなど、日本を支える柱にGHQが関与していったわけです。

極めつけは日本国憲法

あれってのは、植民地だったフィリピンで使われていたものを、日本ように1週間で書き換えたものになります。それが、日本国憲法です。

非常に言い方は悪いですが、植民地用の憲法、つまり、日本をコントロールするための取り決めのようなものです。

 

こうして、GHQは戦後の日本を骨抜き状態にしていったわけです。

戦後ということもあり、日本に抵抗する力があるはずもなく、むしろほとんど無意識のうちに「策」に染まっていきました。

 

さらに当時、共産主義も活発化し、次々と日本の強みを失っていったのが戦後における日本の歴史です。

 

日本は洗脳されている?

その結果、戦後73年経った日本はどうなったでしょうか。

誇りを奪われ、骨抜きにされた日本。

GHQによって洗脳された自虐的観念。

日本国民は自国を誇りに思うどころか、自らを責めるような認識を徐々に植え付けられていきます。

 

現代社会を見ると、個人レベルでも

  • 自分への価値を感じられない
  • マスコミに洗脳される
  • 薬への依存性が高い
  • 精神病の患者が飛躍的に増えた
  • 自殺率が高い
  • 自己不信

などなど、もはや日本は精神的な病に浸かっているわけです完全に。

 

世界的に見ても、日本は経済的に豊かです。にも関わらず、日本人が感じている「幸福感」は非常に低いそうです。それだけ自己肯定感が低いからだと思います。

 

簡単にいうと、どんな状況においても幸せを感じてはいけない、というか、感じることに罪悪感を覚えるようになってしまった、洗脳的な要素があります。

 

時が過ぎれば認識が薄れる

このような時代背景がありながら、現代のほとんどの人は、このことを深刻に捉えていないというか、知らないのだと思います。

 

戦後の当時ですら、GHQが入り、日本を抜本的に作り直した、とういうか、国力を徹底的に下げるような働きかけをされたことを認識している人は少なかったと思います。

むしろ、それが当然かもしれません。そのことが国民に認知されていたら、国を洗脳することはできないからです。

 

そんな戦後を過ごし、徐々に世代が変わり、時代が変わり、現代に至るわけです。

 

日本の国力、日本人の自尊心を徹底的に削ぐような仕組み、考え方が、この日本の仕組みだとしたらどうですか。

メディアで日本の国について政治家がいろいろと討論するシーンがありますが、「一見、もっともらしいことを言っているが、果たして本当か」と疑問を感じずにはいられません。

 

しかし、時代が過ぎるにつれ、その考えが国民に浸透し、やがて常識となり、一方で、それと反対の考えを否定し、阻害する風潮が国を支配するわけです。

 

そして、その風潮が現代の日本を作り上げた背景にある実態です。

 

たとえば、普通に学校に通い、勉強をして、集団での行動や考えを学ぶ。

それが絶対的に正しいことのように、なんの疑問もなく子供は受け入れるわけです。当然ながら、親も同様です。なぜなら、親もそう育ったからです。

 

しかし、その教育の背景に、個人の主張を削ぎ、自尊心を削ぎ、そこから外れることへの恐怖を植え付け、終いには精神的奴隷のような、人生の主導権を誰かに握られて大人になっていくわけです。

そして、そのように育った国民が日本を支えるわけです。

これが、戦後、GHQが日本に植え付けた、国力を下げるための「洗脳」です。

 

普段の生活や人生において時々感じる疑問、不信感、違和感

つまり、日本人としての健全な精神が忘れられ、全く逆の方向に向かってしまっているのが現状です。

 

しかし、そんななか、日々の生活を送っているときに、ふとした疑問を感じることはありませんか。

たとえば、

親が小さな子供に「しっ!騒いじゃダメ」

進路を決める際に、「大学行って就職するのが真っ当な人生だ」とか、

就職すれば、「これが会社のルールだ」

 

一方で、一般的な価値観から外れたことをすると、

「しっかりしろ!」と反射的に否定したり、

心配を装って、自分の考えを押し付けてきたり、

 

まぁ、何気ない普通の生活レベルでも、このような「根拠のない正義、道理」のようなものが横行しているわけです。

ただ、言っているほうも決して悪気はないのです。なぜなら、本心からそれが正しいと思い込んでいるからです。

ここが、洗脳たる所以です。

 

しかし、言葉にはならないけど、そんな理不尽な考え方に、人はときどき疑問を感じます。

本当にかき消されそうなほど些細な心の声なので、きっとほとんどの人が気にも留めないかもしれません。

 

ただ、実はそこに真実が隠れていると私は思うわけです。

一人の人間が、ふと感じる、細やかな心の声。

これが、日本人として、人としての自尊心や幸福感を思い出すカギになるはずです。

 

しかし、そんなことを口にしたらなんて言われるかわからない

そもそも、その考えが正しいか自信がない

 

という具合に、心の声を聞いた直後に否定し、また心の中でその声をかき消す。

そう言った経験が誰でも必ずあるはずです。

 

ただ、この一連の流れを無意識にうちに行なっている人も多く、なんとも表現しきれない、つかみどころのないストレスが蔓延しているのは、このためです。

 

心の奥底では、しっかり問題を認識し表現していても、自分自身がその反応をないがしろに扱い、無視をする。

 

これが、溜まりに溜まった日本の抱えるストレスの正体です。

 

日本人はどう生きる

では、どうするべきでしょうか。

本来、自分の感じたまま表現するのが一番リハビリになると思います。しかし、ずっと本心に蓋をして生きてきた人からすると、それも相当難しいはずです。

 

まずは、上記にあるような、これまでの時代背景を理解することも大切かと思います。

そうすれば、いま常識として横行している考え方が必ずしも正しいとは限らないと思えるはずです。

それと同時に、自分の心からフツフツを湧いてくる声にも耳を傾けてほしいです。少しずつ、小さなことから、その声に従って実践してみる。

それを繰り返すと、徐々に自分の中で自信のようなものが生まれます。

 

そうなると、普段の生活に生じる様々な決断を自分が下せるようになります。さらに、その姿勢で生活すると、自分の人生の舵を自分の手に取り戻すことができ、その結果、自分のなかに自尊心の柱を立てることができます。

 

人は、もっとシンプルに、もっと自分らしく生きるべきです。

人と比べる必要もないですし、人と同じである必要もありません。

 

そうした生き方が、その人を最大限輝かせ、自立した道で進める方法だと思います。そして、他との協調というのは、自立した上で実現するものだと思います。

 

自立していない状態の集団的な行動や強調は、ある意味で弱く、依存的なものです。

 

ですから、第一に、まず自分の人生や考えに責任を持ち、自分が最大限輝く努力をするべきです。それがやがて、他への影響を及ぼし、貢献へ繋がるのだと思います。