夢が実現しないロジックにはまってしまう大人

誰しも、小さいころは夢を抱きます。

  • お菓子屋さんになりたい
  • レーサーになりたい
  • パン屋さんになりたい
  • パイロットになりたい

などなど、子供の夢は無限です。何の疑いも持たずに、ただ純粋にその夢を語ります。

 

しかし、歳を重ねるごとにさまざまな現実が迫ります。

小学校に入れば、勉強が始まります。

いろいろなルールもあります。

中学校になれば、さらに勉強の負担は増えます。

次に高校受験があり、大学受験。

あるいは、そのタイミングで就職を選ぶ人もいます。

 

このように、ある程度決められたステップを踏んで大人になります。

このように自動に課せられる課題に追われ、いつしか夢を語ることを忘れる。

そんなことを思ったことはありませんか。

 

子供は遊びを見つける天才です。目の前の紙切れ一つで遊びを作ります。

ただ、自分のワクワクに従い、発想する。

そんな純粋さはいつしか忘れ、大人から突きつけれる現実をこなすのに必死になっているのに、あとになってから気づくわけです。

 

しかし、そのころには遊びを忘れ、ワクワクする気持ちがどんなだったかも思い出せない状態になっています。

そんな現実を、私はよく感じていたことがあります。

 

しかし、子供のころの思いが純粋であればあるほど、大人になって色々なことを忘れてしまう自分に疑問を持つようになります。

心の奥から湧き出るようなかすかな声。はじめは浮かんではふっと消えてしまうくらい。

しかし時が経つにつれ、その声は徐々に大きくなり、やがて無視できないものになります。

  • なぜこんなに我慢ばかりしているんだろう
  • しかめっ面して人生耐えるのが大人なの?
  • 苦労を経験するための人生?

 

目の前にあるものに心が動かなくなり、やがて人生の楽しみ方を忘れてしまう。

あれ、おれって何が楽しんだろう?

 

しかし、そんな疑問が浮かんでも、社会の現実は次々に降りかかり、それをこなすのに精一杯。気づくと1日が終わっている。

そんな人生ももう30半ばです。

 

夢や実現したこと、ほしいもの、いろいろあります。

しかし、ちょっと想像してみては、

  • 時間がない
  • お金がない
  • 自分には不可能だ
  • 現実的ではない

と一瞬にして、その夢をかき消すようにな声が頭に浮かびます。

どうしても現実問題が先行してしまい、それ以上、想像が膨らまずにストップしてしまうのが恒例です。

そんなことありませんか。

 

しかし、賢者はこう言います、「想像が現実になる」と。

そう、人生を創造的に生きている人は、想像が人生を創るというのです。

ですから、想像できないものは実現しないと。

 

もしかすると、現実問題に追われている私たちは、このロジックにはまっているのかもしれません。

  • 夢がある
  • しかし、現実的には難しい
  • そこでイマジネーションがストップする
  • つまり、想像が止まる
  • だから実現しない

このロジックです。

頭のなかで現実問題を優先しすぎ、想像力がまったく働いていない状態になってしまっているのです。

もし「想像が現実になる」というのが本当なら、このロジックにはまっていては夢が近づいてくるはずもありません。なぜなら、想像していないからです。

 

たとえば、海の見える小高い丘にプール付きの豪邸に住みたいと思っていたとします。

しかし、そんな大金あるはずもなく、現実的には不可能だと考えます。

そもそも、そんな場所あるかもわからないし、あったとしても、今の仕事を続けながらそこに住むのは難しい。

そんなマイナス思考にはまると、豪邸に住みたいと思っていた自分の想いにも疑問を抱くようになります。

「いや、本当は別に豪邸なんかに住みたいはないんだ」という具合に。

 

この思考のロジックにはまってしまうため、「豪邸に住む」という現実は一向に近づいてはきません。むしろ今の生活を肯定するような考えをするようになり、さらにそのような現実を引き寄せます。

なかなか現実が変わらないのは、自分自身で今の環境、生活を肯定し、そのように生きている自分を正当化するからです。

確かにそれはそうです。

今自分ががんばっていることを否定されるほど、嫌なことはありません。

 

しかし一方で、夢を創造的に実現していく人たちは、変えたい今の現状に疑問を持ちます。

決して自分を否定するわけではありませんが、それでも、現実と夢のギャップを確かに認識します。

「豪邸に住みたいけど、現実はアパート暮らしだ」と。

 

しかし、だからといって、頭の中で現実が勝利することはありません。実際、どれだけ夢とかけ離れた環境だとしても、イマジネーションの世界では夢を優先させるのです。

そうです、本来、想像は圧倒的に自由なのです。

しかし、自由なはずの想像に制限をかけししまうのは、まぎれもなく自分自身です。

だから実現しないという、このロジック。

きっとハマってしまっているのではないでしょうか。

 

実際、大人になるにつれて、人生が思い通りにならない現実を目の当たりにします。

しかし、そんなことを気にしていたら、とても日常生活を送れない。だから、つまらない現実を肯定し、美化する。または正当化する。

そんか思考を繰り返すうちに、自分が何を望んでいたいかも忘れてしまう。

心の底に抱えた無意識のストレス、ギャップにも蓋をしてしまう。

 

果たして、このような想像力の欠けた人生で良いのでしょうか。

心の底から幸せを感じられる日が来るのでしょうか。

 

私たちはもう一度思い出す必要があります。

人生は想像的で、創造的であることを。

そして、想像は圧倒的に自由だということを。

それが、やがて人生をつくっていくことを。

 

人生を豊かに自由に想像すると、突然ネガティブなイメージが膨らみ、恐怖を感じることがあります。

しかし、このような働きは、「本能」の生命維持のようなもので、

つまり、自分のコンフォートゾーン(絶対領域)を脱したときの、ただの反応にすぎないそうです。

ですから、そのときに感じる恐怖は、全く根拠もなく、「自分の領域から出たよー」という合図のようなもの。

 

そう考えると、想像の次に現れる恐怖に囚われているかぎり、イマジネーションは自由を失ってしまうのです。

反対に、その恐怖をただの反応と捉えれば、想像を限りなく膨らませることができます。

本来、想像とは自由なもので、現実的な問題によってその想像を止めてしまう理由なんかありません。

 

しかし、想像を膨らませ、その人が進化を始めようとした瞬間に、本能の働きで恐怖が浮かぶ。一種の防衛反応のようなものです。

 

したがって、恐怖、心配ごとに囚われているかぎり、人生を自由に創造することは不可能です。

しかし、その恐怖をただの反応と捉え、心の中で処理をすれば、人生は爆発的な創造力を発揮するのだと思います。

これがいわゆるブレイクスルーです。または覚醒ともいいます。

 

何にしても、誰もがその可能性を秘めていますし、そしてその可能性をなくしているのも自分自身です。

周りのせいにしない、というのはこういう意味です。

実際、創造的な人生を送りたければ、想像すればいいだけの話です。本来、想像は圧倒的に自由ですから、周りは関係ないのです。

 

ただし、何となく想像しただけでは、あまり効果がありません。

心を沈め、細部まで想像を膨らませるのです。

そして、その時の自分の感情を、今この瞬間に味わうのです。

そうしていくうちに、少しずつ心の真ん中がじんわり興奮し始めます。

これが、いわゆるワクワクです。

 

人生を創造するには、このワクワクがキーになります。いかにワクワクする気持ちを感じらるかが非常に重要なのです。

それには、心に浮かぶ恐怖を静かに処理し、さらに想像を細部まで広げていく。

そこに生まれる純粋なワクワクが、やがて夢を実現するためのヒントを引き寄せ始めるのです。

これが人生の落とし穴でもあり、秘訣でもあります。

 

一度、頭の中でも、紙に書いてでもいいので、自分の夢に向き合ってみてください。

そこで、ぜひ想像を膨らませてみてください。

その際、よからぬ不安が過ぎったら、「あ、恐怖の罠にはまらないように気をつけよう」と意識するだけでいいです。

そして、また想像を広げていく。

 

まるで子供だましかのように聞こえるかもしれません。

しかし、実現する人は実践していることです。そして、人生を変えられない人は、信じることができずに、実践していない人です。

これも、人生におけるロジックです。

 

結局、信じるものが現実になる。

これは、ある意味、宇宙の大前提のようなものです。

あなたが肯定する、あるいは前提に考えていること。それが単純に現実になっているだけです。

夢を実現する人は、単純にそれが実現することを疑わず、純粋に想像を膨らましているのです。

ただ、それだけの違いです。